ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

ホームへ
ニュース&トピックス
ボンヴィヴァン トップ

プロフィール 河瀬毅 


■親愛なる山本金司翁(11.06.29up)

ボコボコッと床下を容赦なく小石が飛び跳ねた。

しかし、そんな音は気にもせず、伯父はアクセルを踏み込んだまま突き進む。

革巻きのステアリングを握りしめ荒れた未舗装の道路を軽快に駆け抜ける壮年の伯父。

助手席におさまった幼少の僕は、小刻みな振動に耐え切れずダッシュボードのヘリをわし掴みにしながらも心はワクワクドキドキしていたのです。

伊勢から磯部へと山間部を抜ける伊勢道路なる道が開通した昭和40年以前は、鳥羽経由で志摩まで延々と続く荒れた砂利道が磯部への最短ルートでした。

フォルクスワーゲン、ヒルマン、べレット、ブルーバード。色々乗せてもらったけど、僕はこのイギリス車の固い足回りが一番、性に合っていたように思います。

白に近いベージュのボクスホールのシートは黒の本革をまとい後部座席には当時画期的だったアームレストが仕込まれていた。シートをくり抜き肘掛けが収納された、今では当たり前の仕組み。僕はここにお気に入りのお菓子を隠していてよく伯父にコツかれた。

貴金属装身具製作所を営んでいた伯父が業者に品物を届ける時、僕は、いつもちゃっかり乗り込みドライブを楽しんでいました。

磯部には、結城さんと言う熟練の職人が居て、チビの僕を邪魔くさがらずに優しくしてくれたのを覚えています。

入り江と川の交わる橋の上でのハゼ釣り。コツは要りません。上から目を凝らして口元にポトッと餌を落とすと何の疑いもなく食らいつく馬鹿なダボハゼ。釣れ過ぎて笑いが止まらない。横に居た伯父の嬉しそうな顔。

伊雑ノ浦の穏やかな海から船外機付きの小さなボートでグングン沖に出て尺ギスを狙う作戦。ボラがピョンピョン飛び跳ねる。船長は職人、指南役は伯父。おかげさまであの晩は伯母がたいそう喜んだ。

ある日は立て干しを仕掛けて夢中で魚をすくう。用事を思い出し職人の作業場に行ってしまった伯父。そこに突然の豪雨。雷が鳴り出し嵐に豹変。落雷の凄まじさに耳を両手で塞ぐことが精一杯で水中から逃げ出す勇気なんてありません。目の前に太い稲妻が突き刺さる。大音量が轟き鼓膜が張り裂けそう。泣くしかない。恐怖に対抗出来ず少年は泣くしかなかったんです。おじちゃん。あの時は助けに来てくれて本当にありがとう。

鉄砲が趣味だった伯父が、山の奥の奥で射撃の練習をしていたことがありました。そんなことつゆとも知らない僕は、友達と探検の度が過ぎて山深く迷ってしまい弾道の方向に飛び出した。伯父の表情は、今でも忘れません。しかもその悪ガキが僕だったものだから怒るやら呆れるやらで、、、あの時は驚かせて本当にごめんなさい。

謝りついでに白状します。部屋に忍び込んで水彩画の絵の具の尻を針でブスブス空けてごめんなさい。2階の引き出しにあった風月堂のゴーフルやヨックモックを無断で食べてごめんなさい。そしてありがとう。見逃してくれたんだよね。

二十歳過ぎに飼い始めたトイプードルを事情が出来て伯父に押しつけた。嫌いな物は嫌いとハッキリ言う人なのにお眼鏡にかなったのか、伯母と共に幸せに暮らしました。

寒い時は湯たんぽ代わりにお湯を入れた一升瓶を抱かせてもらったり、行儀よく躾をされて可愛がられながら寿命を全うしました。

二見の寺のペット火葬場で、あっという間に骨になった小さいタイキ。あまりの儚さにジャケットを着た僕たちは、静かに泣きました。そんな伯父も焼かれてしまったのか。

美味しい物を食べる時は、いつも伯母が一緒。そばも天ぷらも居酒屋も寿司も。鰻や懐石も食べた食べた。そして中華。戦争で衛生兵として中国に長く居たことがあり、中華料理だけは特にうるさかった。迫力ある味付けを望んだけど一般的にはどうなのでしょうか・・・。結局どこの店に行っても伯父の思い出を越える一皿には出会えなかったのじゃないかな。

それにしても2〜3か月に一度は会食したとして軽く100回以上は美食を共にした計算になります。その都度、それにまつわる話や塩の加減、酢の塩梅。魚の旬、それぞれの刺身が美味しく食べられる温度、細かく言うと蟹の食べ方やフグもね。レクチャーを受ける。

ペラペラ捲し立てるわけではありませんが、ひとつひとつの言葉がズドンと胸を打つ。

それは何故か?

僕は、伯父の作るきんぴらごぼうや鶏の肝煮の美味さに驚き、マーマレードに至るまで一つの手抜きもない心ある料理を食べていたからなのです。だから説得力がある。だからなるほどと思える。

そのようにして僕は学びました。

細く小さく蝋人形のように真っ白になってしまった伯父。

誰にも迷惑をかけず、自分の嗜好を譲らず最後までキレのあるユーモアを放つことを心がけ誇り高く逝きました。それがきっと彼の美学。自分のことは自分でする。

僕はきっとそうなるだろうと確信していました。それが彼の決めた人生。

そのために長い間千羽鶴を折り続け手先を敏感にして脳を鍛えていたのだから。

自分の運命は自分で創造する。

最後のお別れ。綺麗に着せてもらった召し物は、去年の浴衣祭りで借りた小千谷縮み。素晴らしい本当に素晴らしい着物で、僕は周囲の人から喝采を浴びて誇らしかった。

気に入って僕から取りあげた帽子は、冷え切った頭にそっと被せた。中々似合うじゃない。そして脇にはメガネ。

おじちゃん。覚えているかい?そのジル・サンダーの眼鏡。みんなで焼き肉を食べた帰り道、ショッピングセンターの専門店で俺が見立てた奴だよ。

本当は形見に欲しかったけど、迷わずに愛するおばちゃんの元へ行かなきゃいけないから渋々諦めた。

晩酌が楽しみだった伊賀の銘酒は二日酔いするくらいたっぷり入れた。

みんな燃えろ燃えろ!燃えてなくなって一緒に天国へ行きやがれ。

俺の思い出は一生消えないんだから・・・。  

フォーン・・・物悲しげなクラクションが鳴り響いた。


 


 

サイトマップ
当サイトについて
Copyright (c) 2005 Bon Vivant Inc. All rights reserved.