ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅 


■調理人から料理人へ、そして全部まるごと私のレストラン(06.12.07)

鳥羽国際ホテルで式をあげた僕達は、翌朝信州へ向けて車を走らせた。
東名高速をひた走り富士インターで下車、八ヶ岳ふもとの原村へと北上したのです。お目当ては、料理が評判のとあるペンション。すでに秋景色の山あいに佇むペンションに到着した僕は、宿帳の職業欄に料理人と記した。
ハンバーグや海老フライ、クリームコロッケが得意な洋食屋のお兄ちゃんだったんです。
一人前のつもりで居たんでしょうね。それとも迎えてくれた老夫婦が、脱サラでペンションを開いたように思えたので
精一杯突っ張ったのかも知れません。若気のいたりです。笑っちゃいますね。
案の定、奥様は夕食の時、料理人の方に食べてもらうのは恥ずかしいです・・・とはにかんだ。
それは、タンシチュー。トマトの酸味と弾力がありながらの柔らかさが絶妙だったので、ご主人に美味しかったですと伝えたんです。すると、プロの方にそう言ってもらうと自信がつきますわと小窓から奥様の笑顔が覗いた。
白状すると、僕はまだタンシチューなるものを作ったことがなかったんです。

 

白馬に行かれるのなら、松本にあるレストランの鯛萬(たいまん)へ行かれたらどうですか?勉強になりますよ。
電報電話局の近くだからすぐにわかります。・・・の言葉で見送られて宿を離れた。
松本市に辿り着くまで縦横無尽に信州を疾走した僕たちは、偶然にもこの神秘的な湖を発見したんです。
幻想的なる女神湖の夕暮れに湖畔を歩きました。緩やかな風で水面(みなも)が揺れている。人っ子一人居ない。
摩訶不思議な形をした枯れ木が暗く静かな湖の淵から突き出ている。見たこともない風景。静かで時間の概念がない。

べったりと時間が止まっているようだ。
小さい頃、母親にこんな話しを聞いたことがある。
大病を患うと決まって見る夢があるそうだ。どんよりとした黒い川の真ん中に笹舟のような小舟が浮かびゆらゆらと揺れている。目を凝らすと白装束の女が無表情にこちらを見ている。
扇を広げ、こっちへ来い、こっちへ来いと手招きしているんだとか。うなされて苦しくもなく:、この世とあの世の境目にいるような気分。
ゆらゆらと揺れる小舟にヒラヒラと仰ぐ扇。かたや灰色の女神湖に不気味な枯れ木と湖面に漂う赤茶色の落ち葉。
光景は違うのに何故か、そんなことを想い出したのです。
冗談じゃない。新婚旅行に来ておいて死に場所を見つけるなんて俺ぐらいなもの。縁起でもない・・・。
でもね、ここだけの話、その時こんな思いが僕の脳裏をよぎったのです。
いつか僕にも子供が授かるだろう。・・・可愛い子だといいなあ・・・。でもこんな僕の子だから成長するにしたがい母親となる妻を悩ますかもしれない。それとも僕が妻を泣かすようなことをするかもしれない。
そして、どんな困難が立ちはだかろうとも僕は家族を愛して守り抜こう。やがて子供たちは、成長し僕たちの元を巣立つ。
僕たちは年老いる。何年かが過ぎ妻が、あなたのおかげで素晴らしい人生を送ることが出来ましたと安らかに眼を閉じるまで、自分は精一杯頑張ろう。そしていつか又、再びこの場所に訪れようと心に誓ったのです。

そう言えば三年前に信州を家族旅行した時にドライブの途中で女神湖はこちらの看板を見つけ誰かが寄ろうと言い出しました。
私は少し考えて、まだまだ先にとっとくよと言い、いぶかる家族を尻目に走り過ぎました。
たった一度しか見たことがない女神湖なのに、私にとっては忘れられない湖となりました。

話を戻しましょう。感傷的になっていた僕の心を打ち砕き、明るく前向きな気持ちにしてくれたのは鯛萬の料理でした。
いっぱしのコック面をしていた僕は、帆立貝のプロヴァンサルと牛肉の赤ワイン煮と言うこのふた皿で完璧にうちのめされたのです。
帆立貝の表面はカリリと仕上がっており、歯を立てると中は程よく柔らかい。ほのかににんにくの香りが立ちパセリとレモンが良く合うバターソースでした。

もう一品は、上等の赤ワインが持つ深みと上質な牛肉を惜しげもなく使ったコクのある味。
煮込んだ肉と調和する贅沢なソース。これが本物のブフブルギニヨンか・・・。
僕もこんな料理が作りたい。
私は決して大げさじゃなく、この感激をみんなにも味わってもらいたいと魂のそこから突き上げてくるような想いを抱いたのです。そしてもう一度料理を勉強し直そうと決意しました。
念願のフランス料理店に入るとシェフの作り出す料理はどれもこれも感動的ですらありました。
クスクス、ブーリッド、トリップアラモードカーン。今でも忘れられないものばかりです。そしてスタッフの賄い料理も全てシェフが作るのです。
全ての料理に必要な調味料が整然と配置されたキッチンで、嬉々として、時には歌を歌いながら、そしてジョークを飛ばしながら鍋を操るシェフを僕たちが取り巻くのです。材料を手渡す者。調味料の蓋を開ける者。使った器具を
洗いもとの場所に戻す者。それでもみんな目だけはシェフの手元に釘付けになっているんです。

そして熱々の料理を口にほうばると、例えようのないほど美味しくて、わさわさした悩みなんて吹き飛ばして
しまうほどの力がありました。どうすれば一つの皿に人を幸せにできる力を吹き込めるのか。
シェフがストーブの前に立ち、僕たちスタッフのために料理を作ってくれたあのキッチンから、書き尽くせないほどの
多くの大切なものを学びました。

自由に使えるお金もなかった修行時代のある日。折りしも銀座のレストランでポールボキューズ週間が開催されていました。意を決して妻と二人で出かけたのですが、メニューを見てびっくり。
僕たちの財布では、妻が野菜のスープとパン。
僕がエクルヴィスのナンチュアとパンを取るのが精一杯だったのです。皿を回し合い、デセールも頼めず小さくなっていた僕たちの目の前に、ポンとクープに入ったソルベが置かれたのです。
不安げに顔を上げた僕に「お店からのサーヴィスですよ」と、メートルドテルの優しい笑顔がありました。
この瞬間、それまでの緊張感や恥ずかしさが一気に霧散してしまい、それまで漠然としていた夢がはっきり見えたような気がしました。
「自分の店を持ちたい。お客様がマダムやギャルソンのサーヴィスで心から楽しんでもらえる。そんな店を」と。

あれから、27年。
パパママ店でスタートした小さなレストランは規模を変えながら、14人の精鋭スタッフを抱えるようになりました。
でも私は今でも決して忘れないでいた。あの時のタンシチュー。鯛萬の料理。師匠であるジャニーの生き様。
私は誇りを持って職業欄に「料理人」と書いている。

 

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