ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅 


失くした物の大きさ(07.3.7)

春の陽光が眩しい。髪をなびかせた女の子が颯爽と自転車で走り抜けていく。
ハンドルに取り付けた藤の籠のバゲットとセロリの葉が小刻みに揺れている。
渋谷の公園通りから奥まった場所にある名もないビストロのテラスで僕は一人、デジュネをとっていた。
ワインを片手にトリップを頬張る。グラドゥーブルリヨネーズ。
グラは脂ぎった、ドゥーブルは二倍のと言うのが本来の意味。
ゼラチン質たっぷりの、みのの部分を玉ねぎと共に煮込んだ臓物料理はル・クルーゼのキャセロールでサーヴィスされた。熱々を口に放り込むとジワーッと胃袋特有の旨味が口に広がる。
上手な下処理のおかげで臭みは一切感じない。玉ねぎの甘み、白ワインとヴィネガーの酸味が調和して、思わずニコニコしてしまう美味しさだ。少し冷えたボージョレをゴクリと飲む。ガブ飲みガメイ。
この葡萄品種は爽快にして明解。分かり易い飲み口だ。
前菜のサラダニソワーズに合わせた、プロヴァンスロゼにしたって同じこと。
明るい太陽と人々のさんざめき。日陰に座った僕は、辛口の乾いた味のプロヴァンスロゼをグビリと飲(や)る。
アンチョビ、黒オリーブ、いんげん、サラダ菜。どの具をフォークで突き刺しても明快なロゼワインは口の中でそれらとぴったりとマッチする。
何を意気込むでもない日常の生活。そして昼食の場面。お値打ちな料理にお手頃のワイン。それでもどうだ。
料理とワインの方向性が合うと、こんなにも食事は楽しくなる。

あまりの美味しさに僕は、この近くにあったレストランと、ある人のことを思い浮かべた。
この人は30年早く世に出過ぎたのではないだろうか?もちろん当時から脚光は、浴び続けた。類稀な容姿と才能に恵まれた慶応出身のこの料理人は、ボルドーで修業後ジュネーブの大使館とベトナムの大使館の公邸料理人を務め、後に帰国した。
渋谷消防署の脇の坂を区役所に向かって上がる途中の瀟洒な洋館が生まれ育った自宅であり、彼のレストランになった。
この羨ましいほどの経歴と環境と人と、なり。僕がイメージしたフランス料理人の延長線上の遥か彼方の先にいるこのシェフとこのレストランの誕生は、東京中の食通をうならし、その後に続くフレンチレストランの開店ラッシュの先駆けとなったのです。そして80年代の空前絶後のフランス料理一大ブーム。
レストランガイドや、指南書、評価本が飛ぶように売れ、にわか食いしん坊達はフランス料理店に向かい、こぞって行進を始めました。その頃からでしょうか・・・。この人の機嫌が悪くなりだしたのは。
彼は、それまで自分の料理を理解して心から楽しんでくれる、真の食通のために一心不乱に鍋を揺すっていたのだと思うのです。美味しいね!の一言が最上級の褒め言葉。
帆立貝の甘味には、ソテーしたしめじとパセリ、あさつきを合わせる。仕上げにレモン汁をキュッとひと絞り。
仔羊の挽き肉に、生のみじん切りの玉ねぎやピーマンを入れ、クミン(スパイス)をたっぷり効かせたケフタと言うハンバーグに似た料理があります。ハンバーグなら玉ねぎを甘くなるまで炒めるのが常識。あの当時、一体誰が生の野菜をみじん切りにして、ミンチに練りこむなんてことを実践したでしょうか?
ピエジャメは、豚足を野菜と一緒に煮込んで柔らかくしてから細かく切り、豚の挽き肉と合わせた物を網脂で包んでグリルした料理。トリップアラモードカーンは、シードルがタップリ使われて煮加減も抜群だ。
サラダフェスタは、大正海老をソテーしてシェリーヴィネガーでデグラッセしてクレソン主体のサラダと合わせた少し温かいサラダ。仔羊のノワゼットは、トリュフやフォワグラがソースに入るリッチな料理。
美味しいですか?・・・美味しいよ。それだけの会話で事足りる。理屈はいらない。
なんたって、この人の料理はみんなを幸せにする魔法の料理なんだから。
ワインは、ムスカデ、リースリング、プロヴァンスロゼ。そして名もないハウスワインがこれまた旨い。
もちろんブルゴーニュやボルドーの良い物もあるんですよ。選ぶ選ばないはお客様次第。
日常的なワインにも絶対手を抜かない姿勢をあの頃のどれだけの人が、そっとひそかに賛同してくれていたでしょうか?。

世のグルメブームが排出した似非美食家たちは、あの人のレストランにも押しかけた。
難しい顔をしてハウスワインが注がれたグラスをクルクルと回しだす。香りを嗅いでは、またクルクル。
あのね、上等のワインじゃあるまいしどれだけクルクルしても瓶内熟成の香りなど出てこないですよ。
以前、ウチの店では、こんなことがありました。ブルゴーニュのヴィンテージ物を飲んでいたお客様はグラスを手にする度にクルクルクルクル。挙句の果てに、このワイン酸っぱくないですか?
そりゃそうですよ、それだけ無理矢理空気に触れさせていればワインは酸化し過ぎます・・・。
自分でガンガンぶつけといて、この皿ひびがはいってますわと言っているようなもの。
雑誌やテレビで聞きかじって、それが良いと思ってやっていることが、相手の失笑をかったり、料理人のやる気をなくさせることもあるのです。
帆立貝のマリネ、イチゴのソースや、まぐろのタルタル梅肉ドレッシングなどの料理でクルクルワインを飲んでる
人たちが、このレストランに来てフロマージュドテート(豚の頭のゼリー寄せ)に歓声をあげるとは思えない。
僕は想像します。もしかしたら、この人はそんな風潮に失望しヘソを曲げちゃったんじゃないかと。
だから、連日満席だったレストランを売り払い安比高原に移り住んだのかも知れないと。

そして、自虐的で申し上げ辛いのですが、何より僕がまだ全然ダメだった。フレンチの知識も経験もなく、ただ側に置いてもらっていたようなもの。シェフが繰り出す数々の料理の素晴らしさに目を見張り、スタッフのために毎日作ってくれる様々な賄い料理に舌鼓を打つ日々。僕は見て食べて、誰にも負けない味覚の舌を作ってもらった。
でもあの頃、厨房の最先頭で他のスタッフをグイグイ引っ張ったかと問われたら、恥ずかしくて下を向いてしまうしかない。

今なら違う。
ケーキだって、おちゃのこさいさい。バターの香りたっぷりのブリオッシュもサクサクのガレットブルトンヌも焼ける。
シェフの傍らに立って料理のお手伝いだって出来るかも知れない。
それより客室に居て、NHKホールの観賞帰りのお客様に気の利いた会話を交わしながら上等のワインを飲んでもらう
ことも可能だ。お客様にチーズの説明をして、再びワインを抜栓。楽しい食事の演出。
食後にマールはいかがですか?
愛飲家が大喜びするような泣かせる知識も言葉も、あの頃の僕は、持ち合わせていなかった。
そんなことも、ストレスだったのかも知れない。
とにかくあの人は25年前に山へ行ってしまった。そして東京は宝石を失くした。
今の時代なら機嫌を損ねはしなかったのにと思うと残念でならない。
それでも、周囲が放って置いてくれないのか安比高原から、錆びる事無くテレビ出演や、雑誌にと発信し続けてくれることが僕にとって自慢だ。
ところでそろそろデザートの時間。妄想が長すぎたようだ。若いギャルソンはこちらを覗っている。
無花果のタルトを持って来てくれた。酒好きの僕の風体を見て、デザートワインにペドロヒメネスは、いかが?と言う。
訝る僕に、無花果は赤ワインとはちみつで甘くコンポートしてスパイスにクローブを使ってありますのでと笑った。
この店には食いしん坊な連中が集まるようだ。
東京は、このように成長し熟成した。今、この街にシェ・ジャニーがあればと心から思いました。

月刊専門料理の元編集長が、料理王国と言う雑誌を立ち上げ、現在は月刊ランティエ別冊の料理通信の特別顧問をされている。編集長は、君島佐和子さんと言って料理王国の編集長を経てこの雑誌を立ち上げた素
晴らしいセンスの持ち主だ。僕は、一方的なファンでその料理通信の愛読者だ。
今月の特集は、伝説の料理書。
料理関係者が、折に触れ手に取る料理書は何かと尋ねた答えの和洋中ベスト20冊。
その中に安比高原の神様が26年前に出版した「春田光治の魅惑の南仏料理」が紹介されている。
当時はブームに乗り、沢山の有名な料理人が、シェフシリーズを出版した。
でもそのシェフシリーズの中で、レストラン・シェ・ジャニーのこの本だけが挙げられたのです。
他人から見れば切手くらいの紹介写真。でも僕は飛び上がって喜びました。
そこで働いていたからじゃないのです。
ボロボロになるまで読んだあの本を、同じように紐解いて本棚にしまってくれている人たちが沢山いることが嬉しいんです。
僕は、そのページを開いた瞬間に携帯電話をつかみジャニーにメールした。そして数秒後に着信音が鳴った。
レシピをもう一度構築して書き直したい。・・・と。僕はジャニーの料理に対する情熱の炎がメラメラと燃えている事が
何より嬉しい。

--関連リンク--
■シェ・ジャニー(春田光治氏紹介ページ)
■No5 安比高原の怪物

 

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