ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅 


■リヨンからの履歴書(09.08.28)

リヨンから一通の手紙が届いた。
近況と熱い想いが、書かれていて 読み進むうちに僕は、端正な顔立ちの青年を思い浮かべた。

語学学校に通いながらお菓子の勉強をしているんだ。
いつも彼女と食事に来ていて、はにかみながらも真っ直ぐな目で僕を見て話をしてくれる礼儀正しい若者に、僕は初対面から好印象を持っていた。
そんなこともあり、その一枚の薄っぺらい紙切れを手にした時何か運命的なものを感じたのです。

リヨン。フランス第二の都市。古くから絹織物など繊維工業で栄えた歴史ある街に興味を持ち、 アンティークな物を探しに訪れたことがあります。 旧市街に点在するアンティキテ(骨董品店)。 駅前広場では、テントが張られ古本や古地図が売られていました。
それらは今、ボンヴィヴァンの壁に収まりレストランの雰囲気を盛り上げてくれています。 リヨン。フランス屈指の美食都市。 駅からさほど遠くない古いホテルに投宿した僕たちは、毎朝運ばれる朝食を公園に面して年代物の鋳物の柵に囲まれたバルコニーで優雅に楽しんだ。 眼下には、ペタンクに興じるお年寄り。 その横をりんごをかじりながら闊歩するマドモワゼル。
きちんとした身なりで犬を散歩させている年配のマダムは、背筋がピンと伸びて女優のように素敵だ。

ここは、紛れも無くフランス。

フルヴィエールの丘の中腹には、大聖堂が鎮座していて、目をくれると言葉をなくして見とれてしまう程の絶景だ。
バターの香り馥郁としたクロワッサン。色とりどりのコンフィチュール。昔ながらの陶器製の大きなボールを両手で持ち温かいカフェオレをすする。 石畳。古い街並みに優雅に寄り添うマロニエの木々までもがフランスの顔をしている。この地方は、 伝統的に豚肉加工技術に長けていて、街にはブションやブラッスリーが立ち並び、それ程サイフの中身を気にせずに美味しい料理が楽しめる。
僕達は、そんな喜びを気軽に体験しながらも、このホテルを拠点としてポールボキューズやトロワグロなど 当時、キラ星のように輝く三ツ星レストランに足を伸ばした。
味、サーヴィス、内装の雰囲気。吸収出来るものは全て自分の物にしようと虎視眈々と機会を伺う。 狙うとか盗むとか、小賢しい作戦を想像させるような表現をしてしまったが、実際には笑顔がチャーミングな黒人少年の ドアマンにタクシーのドアを開けてもらった瞬間からムッシュ・ボキューズが繰り出す甘美な演出の虜になってしまったのです。

席に座り、アミューズ・ブーシュのエスカルゴ・ブルギニヨンやセルヴラソーセージのブリオッシュ包みを口に頬張った時点ですでに夢見心地だったのですから。片やロアンヌのトロワグロ兄弟。リヨンから国鉄で一時間の小さな街。地理も何も頭に入れてないもんだから 駅に着いてすぐタクシーに乗り込んだ。
「トロワグロ、シルヴプレ!」「ウイ、ムッシュー!」 ・・・と素っ頓狂な声をあげたタクシードライバーは、駅前ロータリーを猛スピードでグルグルっと 2周すると道を隔てたホテルレストランの前で急停車した。
「ヴォワラ(ここだよ)!」いたずらっ子のようにウインクして見せる運転手の憎めない笑顔に、ここはフランスだと思うと笑みがこぼれた。
そして、トロワグロの世界に魅了されて忘れられないひと時を過ごしたのです。
そんな美食の街リヨンを知り尽くした植田は、程無く帰国してボンヴィヴァンにやって来た。

当時から僕は経験者でもこだわりなく採用しました。店によっては、誰にも影響されていない純白な未経験者を好む所もあります。確かに、そうして店のカラーに染め上げるのも一つの方法。
でも僕は違う。自分自身が、真っ直ぐな道を歩んできた訳ではないので、働きたいと願うのなら来る者は拒まない。そして去る者も追いません。例え経験者であっても遠慮しないのが僕の主義です。

めいめいが、他店で培ってきた技術で自由に仕込みや料理をやり始めたとしたらボンヴィヴァンでなくなってしまう。自分だけの力で一皿を仕上げれば、それはまさしく私の料理と言うことなのですが、料理スタイルとして3〜40席分の皿をストレス無くスムーズに出すためには、厨房3人、パテシエ1人、洗い場1人とホールに4人が理想的。そのためにも自分の考えを徹底的にスタッフに伝えます。新卒はもちろんですが経験者にも容赦は、しません。
調理技術、情熱、清掃の仕方、挨拶、返事、電話の応対。ボンヴィヴァンの作法を体得するまで何度でも教えます。
そんな僕に植田は共鳴しました。いつしかボンヴィヴァンに、なくてはならない存在へと成長していく中で、レストランの移転話が浮上したのです。
仕事が終わって小料理屋に集まり夢を語る僕の熱意に圧倒され、尻込みして黙り込んでしまう連中たち。
おなかは満腹になった。でも何かが不足している。このままみんなを家路に着かせるのはいかがなものか・・・。
閃いて、自動販売機でワンカップをひとつづつ買い現場に向かいました。
工事が、まだまだ始まらない大きな建物を見上げて息をのむ連中。
プシューっとプルトップを引き上げグビリと酒をあおる。建物が鎮座する石積みの縁に腰掛けて酔い心地の中、この怪物がレストランに化ける姿をそれぞれに思い描かす。そして気持はひとつになった。

工事が始まりました。6m×7mとさほど広くない厨房予定の部屋にチョークで線を引き、せめてここまでは、パテシエルームに下さいと申し出る植田に初めて全面的に菓子を任せました。
フィナンシェやチーズタルトなど沢山の彼の置き土産は今でもお客様に好評を得ています。

毎日遅くまで忙しく働き、休みには、テニスやバーベキューを楽しむ。東京やパリ、ロンドンにも旅行に連れて行った。
しかし、それがどんなに充実した毎日でも必ず別れはやってくる。
独立の準備を進めるために彼は去り、数年後に郷里の高松でサン・ファソンと言うパティスリーを開店しました。

それから10年。相変わらず僕たちは、頻繁に電話を交わすし食事にもやって来る。彼の店へ研修に出したスタッフは、5人にものぼった。
話しは変わるが僕は、省略言葉や本来の意味を理解せずにフランス語を使うことに少々疑問を感じます。ブラマンは、ブランマンジェで、アーモンド風味のミルクババロア(白い食べ物)。バトマレは、バトンマレショーで元帥の杖。言うまでもなく細長い菓子でなければいけませんよね。
自分達が作っている菓子の言われや形容の表現も理解せずに、短縮言葉を使うことははなはだ遺憾です。
植田と僕が作ったルセットでも、長い年月のうちに人が引き継ぎ伝達していく作業の中で、余計な変化がありました。
いつからかモンブランの土台(丸い焼きメレンゲ)をドワ・ド・フェと呼んでいることに気付いたんです。
何、それ!?
自分の菓子なのに聞いたことがないパーツの名前。それでいて意味は誰も知らない。いったい誰が言い出したのだろうか?ネットで検索しても出てこない。植田に聞いたら仙女の指と言う意味だそうだ。成る程。でも、何それ!しなやかで白い指が、いつのまにかポチャっとしたモンブランの土台に変わっただなんてフランスの仙女が聞いたら自慢の指を突き立てて怒りだすかも知れません。アリュメット・ショコラ(マッチの軸形のチョコレート)と称してチョコボールを出すような振る舞いは、どう考えてもおかしい。
そして植田たちオープニングメンバーが大切に育て上げたモンブランを、知らない内にいじられたことが一番悲しい。

あるべき姿に戻しました。焼きメレンゲが萎まないようにホワイトチョコを少しコーティングしただけ。これにて11年前、開店間際3時まで仕込みをして夜明け前にラーメンをみんなで食べた、あの頃のモンブランが復活。
僕にとってのルセットは、決して分量と行程だけではなく当時の忘れたくない大切な大切な思い出なのです。

サンファソン http://www.sansfacon.jp/



 

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