ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅 


■リアルタイム1971邦楽編(06.10.21)

「友よ、夜明け前の闇の中で闘いの炎を燃やせ。・・・夜明けは近い」フォーク集会でギターをかき鳴らし「もしも差別がなかったら好きな人と一緒になれた。暗い手紙になりました。それでも私は書きたかった。」
部落差別で自らの命を断った女性の手紙に物悲しい曲をつけて同和問題に真正面から疑問を投げつけたあの人。
体制を批判して社会に問題提議し、ありったけの不満をぶつけるあの人の力強い唄。
心の奥底から吐き出す言葉はフォークギター一本で奏でる曲と共に16歳の僕を虜にした。
くそくらえ節やガイコツの唄で一部のマニアをあっと言わせた彼は、LP「私を断罪せよ」で一躍フォーク界の頂点に上り詰めアンダーグラウンドの寵児となったのです。
チューリップのアップリケ、山谷ブルース、それで自由になったのかい、友よ。70年安保闘争の真っ只中団塊の世代(当時そんな言い方はなかったような・・・)の人たちは、それぞれの闘う目的を定め学生運動へとのめりこんでいった時代です。
さすがに高校生の僕には、生徒手帳の規則で俺達を縛り付けるなと担任の先生をつるし上げるぐらいが関の山。
(あの時は失礼しました)でも、偶然見てしまった進学のための内申書には、学生運動に走る傾向が大きいなんて
書かれてしまったから入試では苦労しましたよ。片っ端から落とされましたから。

ハウメニィロードマスターマンウオークダウン(僕が歌っているんです)と風に吹かれてを生ギター一本で唄っていたボブディランが突然エレキギターに持ち替えてザ・バンドをバックにライクアローリングストーンを熱唱したように、あの人も変化しました。
なんと、はっぴいえんどを引き連れての登場だったんです。細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂。
今でこそ超有名人ですが当時は才能ある若手ミュージシャン。抜群の演奏でした。
時代を風刺し僕らの心のもやもやを代弁するように張り叫ぶニュー岡林信康は、伝説の日比谷野音ライブで高中正義、柳田ヒロを従え、LP狂い咲きを収録。そして生き神様となったのです。

中津川フォークジャンボリーのテーマ曲は、岡林が唄う「だからここに来た」
「だからーここに来た。家から学校から飛び出してここに来た。嫌な奴はここには居ない。あんたのやりたいように
すればいい。」
神様が唄い神様が喋る。別のライブ版レコードの中でも神様が話す。僕は、LPレコードが擦り切れる程聞きました。
そして生き方まで変わってしまった。
その頃、岡林信康は、新譜ジャーナルだったか、もう一つの音楽雑誌に手記を残し消息した。
周囲の期待が大きすぎて息詰まり、もう唄えないというような内容だった。
僕達熱狂的ファンの信者達が神様を追い詰めたのかも知れません。
何故ってこんな僕でも神様が右向けと言ったら最前列に陣取って右向く覚悟でいたのですから。

束縛から逃れた岡林信康は、山間部から一枚のアルバムを発表しました。
高原の香りが漂うステキなジャケット。
「俺らいちぬけた」というタイトル名。収録曲の「申し訳ないが気分が良い」なんて曲名と言い本当に彼らしい茶目っ気のある贈り物でした。
一人の偉大なメッセンジャーが現れて共鳴した僕は、人生という道のりを自分自身で切り開く意志が持てた。
北海道の牧場に居たのもその頃。松阪の飯場から高校へ通ったのもそんな背景があったからかも知れません。
(飯場と言うのは土木作業員が工事のとき住み込む簡易プレハブ宿舎の事です)
同じく偉大なシンガーソングラーター加川良や友部正人の影響で旅をする大切さも知りました。
長野は、小諸の懐古園という大きな公園に住みついていた草笛吹きの仙人みたいな爺さんに気に入られ
一週間位共同生活をしたこともあったんですよ。ホントに馬鹿な17歳でした。
でもね、偉大なシンガーソングライターは、他人が書いた楽曲を歌うタレントと比べると影響力の重みが
全然違うんです。

今、テレビでは、懐かしのフォークソングがブームだと言う。
僕は熱心に聴かなかったのですが、当時の歌い手たちは昔と変わらぬ声で、中年となった我が同世代の前で弾き語る。うっとりと首を左右に振り遠い昔を懐かしむ我が同世代。
おりこうさんバンドのヒット曲に酔いしれるこの人たちの35年前は、どんな若者だったのだろう。
昔は良かったと言う昔に一体どんな生き方をしていたのだろうか?
僕は昔のほうが良かったとは思いたくないし、かと言って過去を否定したりもしない。今を精一杯生きるのみ。
岡林信康も加川良も友部正人も色褪せず今をしっかり生きてくれている。

1975つま恋ライブが、なんと伝説とされているらしい。でも同じようにテレビで流れる当時の唄が僕達の世代の全てだとは絶対に思わないで欲しい。
伝説は、1970中津川フォークジャンボリー。歌い手や、聞き手は、団塊の世代の当時若者20〜23歳。
音楽と政治が結びつき不平や不満が炸裂する。立ち向かうパワー。この人たちの闘争のエネルギーが日本を
引っ張ったんじゃないかと思います。

そして僕は大学に入学し、大学紛争がとうに納まったキャンパスに、荒井由美のひこうき雲が流れていた。
その後、貴重な経験を重ねて料理人になったのですが、それまでの事がプラスになっているかどうかは解らない。
でもこれが現実。もうリセットは出来ないんだから。
団塊の世代の料理人たちが、フランス料理の一大ブームを巻き起こし夢中で勉強する毎日。
店を持ってからは、バブルブームが到来し、その中心となった客はやはり働き盛りのあの世代。
食べる客に、作る僕。真剣勝負の毎日が私を進化させてくれました。

10月24日に龍宮社出版より創刊号[ Z ] が発売される。55歳以下は見るべからずなんて但し書きが添えてあり、そろそろ定年を迎える団塊の世代を対象にしたメンズファッション誌らしい。
旅の特集ページではボンヴィヴァンが紹介されていて伊勢旅行の彩りとなっている。
常に時代を引っ張り僕に刺激を与えてくれた人たちが、本を開きペラペラとページをめくり私のボンヴィヴァンに
目を留める。「今度この店へ、行ってみようか・・おかあさん」なんて会話をしてくれるのかな?
想像することが、とても楽しい。
だって私は、五つ年上のこのお兄ちゃん達の後ばかりついてまわるおませな坊主だったのですから。



 

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