ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅 


■心(11.11.11up)

妥協を許さぬ真っ直ぐな道を突き進み、気の毒なほど自分を追い込むシェフが居たとする。

手に持った磨き輝く包丁は、難なく産毛も剃れるでしょう。

しかし、薄く鋭利な刃先は、魚の上身を綺麗にスライスすることは出来ても固い野菜をトントン切るには不向きです。

その包丁が本人そのものであり、例えば人間を料理したとしましょう。見る見るうちに息を飲むほど素晴らしい皿(人物)を完成させるかも知れませんが、使い方を間違えば一太刀で相手に致命傷を与え、我が身まで簡単にボロボロになってしまいかねないガラスの分身です。

そんなことでキリキリと胃を痛めたり白髪が増えたとしたら自分自身があまりにも憐れ。

僕はチョンチョンに尖がった繊細な天才より、なまくらな牛刀片手のどんくさい地味な職人でありたい。

スタッフと言う多種多様な素材を料理して、万が一自分の刃が欠けたとしても、決して落ち込みません。夜中にワイン飲みながらヨイショヨイショと包丁と言う我が心を研ぎ直せば済むことなのですから。

明日になったら又、平気な顔してピアノの前に立てば良い。

スタッフ不足で手が回らず地団太を踏んだこともありました。レストランを経営しスタッフに給料を支払い、諸々の借入金や支払いを繰り返す日々の中で何度も地獄への崖っ淵に立たされた者でないと開かない扉があります。

数々の経験をするうちに僕は自力でドアを見つけノブを回し、一段一段そろりそろりと上がってきました。

理想を追求するあまりスタッフを我鳴り付け、窮屈な思いをさせてしまうより、前進する気持ちが昂ぶるような注意の仕方を考える。

この仕事を続けていくのは、確かに困難です。技術もスピードもセンスもビジュアルさえも要求されてしまう。

だから厳しいよとは言いません。だからこそやりがいがあり面白いんだと伝えます。

一生をかけて貫く仕事。趣味であり生き甲斐であり上手くすれば生活源にも成り得るライフワーク。

それでも挫けそうな奴には、目を向け言葉を掛ける。話を聞く。へたくそな冗談で無理やり笑わせる。

美味しい物を作ったら、みんなで一緒に食べましょう。そんなたわいもないことを繰り返していると、まだまだ発言力に乏しい子からでも美味しいラーメン屋さんを見つけましたよと、コソッと教えてくれたりするから有り難い。そのようにしてレストランは一つになれる。

鋼のような精神力。聞こえはカッコ良いけどね・・・折れる、折れる。限界まで来たらパシーンと物の見事に真っぷたつになってしまう。自分が傷んだら負けでしょ、この世界。

僕はこんにゃくでありたい。フレキシブルな精神棒。

心の底から傷つくことだってある。仕事以外でも思いもよらぬ出来事で、その人が信じられなくなったことなんて・・・あるある。割とある。

それでもと言うか、だからこそと言うか・・・。

僕は、ポヨーンとして能天気な心の持ち主に憧れる。細かいことは気にしない。

くよくよしたって始まらない。そう言い切れる人が正直羨ましい。

何事にもこだわらないか?どんな欲望にもとらわれないか?

あるある。全てある。怒りも妬みも迷いも悩みも金欲も食欲も・・・白状するとこの年で魅力溢れる女性に目が泳いだりもする。

それ全て投げ捨てて仙人になろうとは思わない。

ただせめて自分以外の人には優しくありたい。

人の意見に耳を傾けて賛同することに喜びを感じる。

我を抑え料理に没頭し、己の道を極めて知らず知らずの内に高みへと到達したい。

無我の境地。

南禅寺の石庭を一日中眺める。飯高の山々を眼前にして、露天風呂に浸かりながら瞑想に耽る。山寺で坊主に肩を叩かれるもよし。

与えられた舞台の上で役者のように禅を演じる。人、それぞれの方法。

僕なら庭。年月を掛けて自分で耕し、花を植え草木を育てている。芝生を張り、古煉瓦と石を置き、眼隠しの塀も立てたところ。

一日中でもここに居たいと思う。

無心で花殻を摘み枝を剪定する。宿根草は、株元まで刈り込んで次の季節に備えよう。敷石と枕木の隙間から健気に伸びる雑草までもが愛おしい。

ここには瞑想も禅もない。

しかし無となり自然と合体して心が癒やされるひと時は間違いなく僕、今だけは善人。
この基地で気持ちを整えて再び日常の世界へと参戦する。

57歳。相変わらず煩悩苦悩を抱え込んだ妄想雑念男ではありますが、日々の鍛錬と共に心を浄化し、今まで見えなかった扉を探し当てたいと思います。


 


 

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