ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅 











真夜中に僕は、ぼんやりと窓を見つめていた。
そして、遠くのほうからうねりながら見え隠れする車のヘッドライトが近づくたびにジッと聞き耳を
立てていました。
・・・又、通り過ぎて行った。次に登ってくる車は一体何分後なんだろう。落胆し再び気を取り直して、滲みの付いたカーテン越しに車のライトを求めました。
ここは、浅間高原のとある山荘。僕の隣の布団には、予備校仲間の連れが気持ち良さそうに寝息を立てていた。
小一時間前まで豪快にトランクス一丁でいびきをかいてたくせに無意識に上掛けをかぶったものだから、僕は窓を閉め、そのついでに滲みの付いたカーテンも閉めました。
いや、その前にキュッキュッと古い真鍮の鍵を回した。

授業の少ない夏の間、蒸し暑い京都を離れて僕は信州を旅していました。
と言うより旅の途中、碓氷峠近くで乗せて貰ったトラックの運ちゃんに気に入られ、住み込みでトラック輸送の助手をしていたのです。柄木田(かれきだ)製粉って言ったかな?
少々喧嘩っ早い、恐くてでも本当は優しい人でした。
群馬から乗せてもらった何台目かのドライバーに微妙な場所で降ろされたんです。
・・・まいったなあ。今日の内に軽井沢の街中まで行きたいのに・・・。
数十台もの車は、僕が上げた右手を横目に通過していってしまう。・・・まいったなあ。
日も暮れて不安がよぎりだした僕の真横に、7トントラックが排気ブレーキの轟音と共に止まったのです。
乗ってけ!・・・大喜びでステップをよじ登りました。ぶっきらぼうな運転手は、見かけより優しく面白い。
麻雀や競馬、そして下ネタなどで盛り上がっていたら、突然背後から「お前、どこから来たんだ?」の声。
ビックリしました。本当に驚いたんです。だってまさか、背後に簡易ベッドがあるとは思ってもみなかったから・・・。
その声の持ち主は運転手の弟でした。体が大きくて素朴な人。三人であーだこーだと喋っていたら、僕の目的地、軽井沢を通り越し、彼らの工場がある中軽井沢に到着してしまいました。
飯食ってけ!・・・ハイ。泊まってけ!・・・ハイ。ちょっと手伝ってくれ!・・・
えっ?
ま、一宿一飯の義理もあることだし、結局2週間お世話になりました。中軽井沢の工場と晴海ふ頭の小麦積み下ろし。
重労働ながら貴重な経験をさせてもらった19の夏の出来事です。

京都から友人たちが遊びに来たので、僕もここが潮時と、その兄弟に別れを告げ、仲間と旧軽井沢で合流しました。
鬼押し出しを見に行こう。またまたヒッチハイクで。ふもとのロッジが待ち合わせ場所。しかも競争で。
単独でも容易じゃないから4人は絶対無理。自然と2対2に分かれました。それでも
難しいよ・・・二人組みのヒッチハイクは。
僕は白のオーバーオールを着て健康的な印象で攻めてたし、相棒もまあまあ。
予想に反して、苦も無く早々と布団にありつけたしだいです。

鬼押し出し。200年前に浅間山が噴火した時に火口で鬼が暴れ回り岩を押し出しているように見えたとか。
あまりの爆発の激しさにいくつかの村が溶岩で潰され多数の死者を出したそうな・・・。奇岩の景勝地。

それにしても遅い。しょうがないか・・・一人は背中まで髪を伸ばしているし、おまけにその相棒は東洋哲学にはまり込んで眉毛を剃っちゃったからな・・・。
待ちくたびれてウトウト。寝煙草厳禁と赤マジックで書かれた灰皿にショートホープを押し付ける。
もう一度、滲みの付いたカーテンに車のライトを期待した。・・・期待はずれ。まいったなあ・・・。
旅先では連絡が取り合えないから、どうしたもんだろうと思案していたら、窓に灯りが映ったんです。
でも白色じゃない。フランス気取りじゃあるまいしヘッドランプをイエローバルブに変えてる馬鹿はそうは居ないだろう。
そうか!シビエかマーシャルのフォグランプを灯しているのかな?いやいや、それだったらこんなにオレンジっぽくは光らない。僕は眠気の中でくだらないことを考えていました。四輪が疾走するタイヤの音を伴わないこの怪しげな光が窓にへばりついた瞬間、まるで春の嵐が通り過ぎたように滲みの付いたカーテンがヒュンッと、ひるがえったのです。
窓は閉めた。鍵を回した。カーテンが舞った。この言葉を繰り返す。体が動かない。目は見える。隣で連れが寝ている。声はうめき声しか出ない。体中に痺れたように電気が走りちょっとでも無理矢理動かそうものなら、もの凄い力で押し戻されてしまう。
恐くて目を閉じた。南無阿弥陀仏・・・通じない。南無妙法蓮華経・・・通じない。
当たり前だよね、いままで自ら進んで拝んだ事がなかったんだから。
過ぎてけ。過ぎてけ・・・。恐怖は、過ぎて行かない。弄ばれているように自由が利かない。
かくなる上は、チートイドラドラ、純チャン三色イーペイコウ、リーチイッパツツモ!スーアンコウ単騎待ち!。
考えられる、ありとあらゆる麻雀の上がり手を心の中で連呼した。
すると、10回目の上がりくらいにプツンと、何事も無かったように収まったんで
す。
翌朝、金を使ってロッジまでのぼってきた東洋哲学野郎に教えてもらいました。
それは金縛りだよ。・・・と。

金縛り。僕は、そんな言葉は知らないし体験もなかった。
心理的に圧迫されている時や疲れていると、そういう現象になるんだよとクールに言い放つ奴が居た。
でも、戸を閉め鍵をかけた窓のカーテンは確かに勢いよく舞い上がったんだ。
僕は、浅間山麓で、したくもない経験をしてしまったことに軽い落胆を覚えながら京都に帰ってきました。

しかし、それだけでは済まなかったのです。
京都市北区上賀茂朝露ヶ原町が当時の住所名。アサツユガワラ。上賀茂神社と神馬餅の神馬堂の間を歩き鴨川沿いに少し左へ入った所。アパートの大家さんは、個人タクシーの運転手。
ガレージと倉庫の横の鉄階段を上がると四畳半が5部屋連なっていて、手前から同志社大学三回生の宮脇さん。
隣が京産大の姫野。次に四日市高校出身の浪人生、秀才平谷とアリスクーパーが好きなマーちゃん。
そして一番奥の角部屋が僕のもの。まだ夢を持たない。進路も決まってない。不安定な予備校生。
そんな僕の大切な城に、奴は連日連夜押しかけてきたのです。
最初はただひたすら恐いだけでした。
しかし、頻繁に来るにしたがって奴の動きが手に取るようにわかるようになってきました。
奇妙な事に奴は瞬間移動が出来ないのです。皆が寝静まるのを見計らったようにして、まず木戸が開く。
ギィーッ。目の前の階段を上がってくる。鉄と靴底の砂が擦れた音がする。ジャッジャッジャッ。
一段ずつゆっくり、ゆっくりと。
靴脱ぎ場で一瞬、間が空くのは律儀にも靴を脱いでいるせいだろう。
そして、そこからが早い、早い。ためらいもせず一直線にトントントントーンっと音を最小限に抑えて廊下を小股でひた走ってくる。
突き当たりの僕の部屋の前でピタリと止まると、やはり間を取り気配を伺っている。
ここまでは分かる。
いや、もう少し。瞳を凝らしてドアを見る。ガチャリとノブが回る。もう少し、もう少し先。・・・ドアがひ・ら・く。
それが限界。僕の体は全身痺れ、硬直し部屋中引きずり回される。
恐い?もちろん。だから廊下に飛び出して正体をあばこうなんて思いもしなかった。
もし見えてしまったら・・・・。
こんなことが、決まって一人になると続いた。

あの夏の出来事は一体何だったのだろう。
特別な仕掛けをした訳でもなく、僕に特別な力が芽生えたふうでもない。
・・・が、何の前ぶれもなくパッタリとおさまった。

この話しに結末は無い。
ただどうしても大家のお婆ちゃんが言った言葉が気になる。
当時、僕達の下宿では昼に夜に誰かれなく出入りして賭け麻雀をしていた。ばあさんには、それが気に入らなくていつも監視され、よく怒られた。ある日も呼ばれてこんな事を言われたのです。
そういえば、河瀬君。最近あのリュックの兄さん、お見かけしまへんなぁ。




 

 

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