ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅 
 


 
■キャベツの繊切り (09.03.11)

渋谷。僕は、宮益坂途中にあったコーヒーショップでアルバイトをしていました。
その頃、宮益坂はオフィスビルが立ち並び、人通りは道玄坂に比べてさみしい限り。
環七と246号線が交わる辺りに暮らしていて、バスに乗り渋谷へと向かう。反対方向には、籍を置いていた大学がある。
東急バス。上馬(かみうま)のバス停から乗車して中里、三軒茶屋、三宿、池尻、道玄坂上、渋谷。
バスは、バス停が近づくと宣伝文句をアナウンスする。三軒茶屋は、カーテンカーペットの春木屋前。
三宿(みしゅく)は、昭和女子大前。中里は・・・?あれ、池尻も忘れた・・・。
無理もないんです。僕は、お金がなくて歩いてばかり。
仕事が終わり夜遅くトボトボ歩く。
バス停の前には、たいていコーラやジュースの自販機がありコインランドリーが、設置されている所も
ありました。
今だから笑い話になりますが、釣銭返却口に指を突っ込むと意外と高い確率でチャラ銭を稼ぐことが
出来たんです。
もっとも三軒茶屋の繁華街に辿り着く頃には喉が渇き、コツコツ集めた小銭は、すべてビールの自販機
に戻してしまう羽目になってしまうのですが。

コーヒーショップとは言いながらも気の利いた軽食も出していた、その店。
あなたの職場にも何気ないドラマのようなささやかな日常があるように、僕もそこで数々の小さな物語を経験しました。

授業が終わってから厨房に入る僕は遅番。モーニングセットをサーヴィスする早番は、3時には、
上がってしまう。僕は5時出勤なので、中番としか顔を合わせた事がない。
ある日、モーニングセットの残飯だと思われるコールスローのサラダをゴミ箱から発見した僕は、
愕然としました。キャベツのコールスローなんて、とんかつ定食に付いてくる繊切りのイメージでしか
なかったものですから。
乙女の髪の毛のように均一で、か細いそれは、仕事が終わりゴミを集めていた一番底から出てきました。
本当に本当に細いキャベツ。断面がスパっと切れていて瑞々しい。
そのおかげでドレッシングを吸い過ぎないからシャキシャキしていました。

僕のやり方は、パーンっと4つ割りにして、斜めに包丁を入れて芯を切り取る。
それを起こして真上からトントン包丁を振り下ろす。スピードが、あるもんだから、見ようによってはプロっぽく見えていたんじゃないかなと思う。
出来栄えにも満足していた僕に直撃を喰らわした張本人に会って教えを請いたいと思いました。
さっそく中番の人に探りを入れてもらう。
誠実で優しくて口数の少ないらしい早番さんは、教えるほどのもんじゃないですよと中番に伝えた。
でも、どうしても見てみたい。

タイムカードで出勤時刻をチェックして、ある日内緒で早がけをしたのです。
駅近くにある東口会館での徹夜マージャンが、予想外に早いお開きとなったため、タイムカードに印字された時刻より一時間も早く厨房に到着しました。
しかし、すでに人の気配がする。僕も驚いたけど早番さんは、もっとね・・・。
ビンビンに砥がれ、柄元まで薄い鋼(ハガネ)の牛刀を手にした彼は照れながら口を開いた。
俺は、どんくさくて不器用。それでも良い仕事をするには、こうするより手はないんだよ。

その方法とは、こうだ。
そっと優しくキャベツをはがす。一枚一枚丁寧に。
芯や太い葉脈を切り取り、同じ繊維の方向に3枚程重ねてクルクルっと巻いた。キャベツの葉に包丁が垂直に入るように軽く押さえるのも大事なポイント。
上手く説明が出来ないが、包丁の刃先は、まな板につけたままで柄元だけを浮かせ、牛刀の刃の曲線を
いかしてスイスイ切っていく。力任せにぶった切るんじゃなくて、慎重に・・・。これならキャベツは切られたことすらわからないだろう。確かに時間はかかる。だからこの人は、適当な頃合いになったら
タイムカードをカチャっと差し込むのだろう。
細く、細く髪の毛のように。魂を込めて一生懸命包丁を動かす。

僕は、この人の真摯な横顔を見ていて、料理人ってちょっと素敵な職業だなって思ったんです。
そして、食に目覚めました。
・・・が、しかし、残念ながらお金が無い。
B級。ラーメン。渋谷、恵比寿、永福町。旨いと聞けばどこにでも行きました。
一番は宮益坂下のビル地下にあった羽衣(はごろも)でしょうか。六本木に移転する前ですよ。

井の頭線の渋谷駅裏は、圧倒的多数のヤキトリ屋街。ヤキトリと言ってもね、鶏じゃないんです。
ハツ、シラ、ガツ、ドーナッツ、子袋・・・全部、豚の内臓。
ありがたいことにとんでもなく安くてね、これがまた旨い。
どの店も一階は、満員。歩道にせり出した縁台にも隙間が無い。
しょうがなくて2階の座敷に上がってもすでに先客で溢れている。
もうもうと立ち上がる煙。脂が溶けて焼けた炭にしたたり落ちる。
焦げた臭いが充満する店内に大声で喋り合う男どもの声がこだまする。
ビール、酎ハイ、ハイボール。
渋谷の街にそんな区域があったのです。
でも、僕のことを年寄り扱いしないでくださいよ。
そういう場所に嗅覚が利いたし、同世代の連中が敬遠した雑多な雰囲気が、僕には居心地良かったのかもしれません。今は、そんなヤキトリ屋は、都内にたった2軒しかないと聞きました。
僕が、お世話になったブタのヤキトリ。思い出の味。

そこから歩いて数分。道玄坂下には安普請(やすぶしん)な、洋服屋がゴチャゴチャと乱雑に並んでいた。
あそこを整理したかったのかな・・・。後に一新されてビルは、109と名乗り見違えるような一角になりました。
渋谷の街は、古いものを取り壊し徐々に変貌を遂げていく。
公園通りのパルコには、コムデギャルソンやワイズ、メンズビギ。お洒落な人たちがショップに群がる。
僕はと言えば、渋谷消防署前にあった文化屋雑貨店で数百円で購入した書生シャツがトレードマークです。
文化屋雑貨店は、いつもいつも人で一杯。店の目の前は、パルコ方面に抜ける緩やかな坂道。
まさか、その途中にフランス料理店シェ・ジャニーがあっただなんて知りもしませんでした。
知らなくて当たり前。僕は、まだターメリック入りのピラフをあおっていた、ただの学生コックだったのです。
得意料理がコールスローだけの僕は、いくつもの回り道をしてシェ・ジャニーに辿り着きました。
ジャニーこと春田氏の下で頭角を現せたかと言うと赤面ばかりで胸を張れることは一つもありません。
それでも僕は学んだと思いたい。ジャニーが作る料理と作り上げていく工程。僕たちに食べさせてくれる賄いの味。あの人が話すどんな会話もそう。しっかりと目に焼き付け、耳に言葉を残しました。
もちろんマージャンの打ち方もね。
あれから30年が過ぎ、僕は、おかげさまで料理人として生きながらえている。
今日は3月10日。ジャニーの誕生日だ。僕はお祝いに、一本釣りの志摩の魚を送った。
アヤメカサゴに赤魚(アカウオ)。大きな赤魚にはさぞかし驚くだろうな・・・。
そしてメールが届いた。もちろん美味しそうに料理された画像が添付されて。
「赤くてデカイのは、赤魚ではなくカサゴ系では?尾びれに美しい斑点があるし。」
そして僕の「赤魚でも微妙に種類が違いますね。こちらでは、ひっくるめてガシと呼んでいます。」と、大雑把な送信。
再び着信音。
「図鑑では、居るんだよ・・・ウッカリカサゴって名の魚が・・・。」
・・・図鑑と睨めっこしてるんだジャニー・・・。一人ほほ笑む僕。
飽くなき探求心に乾杯!
ムトンチャクって名の魚がいるとしたら、きっと僕に似てると思います。








 

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