ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅 


■一杯のスープ(06.10.03)

聡明な人でした。美しく、穏やかで誰に対しても優しい心配りの出来る人。いつも微笑みを絶やさずに慎み深く、それでいて芯はぶれることなく、しっかり自分の道を歩く人。
たとえば、春。一斉に咲き始めた花々。撫子、ベゴニア、ポーチュラカ。この人は花の名前をなんでも知っている。綺麗に咲いてくださいな。そんなふうに話かけているみたいだ。パチリパチリと花がらを摘み、水流の弱いじょうろで、花びらに水がかからないように手で花をかばって茎元にあげている。
たとえば、夏。ヴィンテージ物の濃紺のベスパを駆って元気一杯やって来る。おはようございます!
使い込んだヘルメットにミッレミリアのドライバーのようなゴーグル。洗いざらしのTシャツの首元がルーズに広がって
妙にセクシーだ。
たとえば、秋。お気に入りの着古したジャケットとジーンズ。ニット帽をかぶり公園のベンチに腰掛ている。
目の前に佇む大きないちょうの木と芝生のあちらこちらに散乱する銀杏を見つめ、サラサラとデッサンをする。
遠くではボール遊びに興じる子供達。キャッキャ、キャッキャ。・・・子を見る母の目は温かい。
そして僕の想像でしかない冬。山の木々は冬枯れて不安定に雪を積み重ねている。
ピューッ、ピューッ。時おり吹き抜ける風は、凍えるように冷たいだろう。ここは高野山。君は下を向いて歩いている。
何を悩んでいるの?何か思いつめていることがあるの?

私が朝の買出しから戻る頃は、ちょうど君がカフェの店先を掃いている時間だ。
おはよう!おはようございます!
顔はいつものように溌溂としている。でも痩せたんじゃない?自分を突き詰めたらいけないよ。
もっとご飯をしっかり食べなきゃ。・・・でも入っていかないんですよ・・・。いや、栄養をつけなきゃ。

スタッフも心配していた。私とマダムは君の苦労を知り、始まりました。スタッフの朝のまかないを作ることに決めたのです。
もちろんそれまでも週の内、何度かは気が向いたら作っていたのですが、これからは毎朝です。
王様のような食事じゃなくていい。心を込めて料理すればきっと食欲は戻ってくる。・・・そう信じて作り続けました。
いつも残さず食べてくれてありがとう。君に作った料理の数々の中で私が鮮明に覚えているのはコンソメスープ。
高価な牛肉は使っていない。鶏肉で作ったチキンコンソメスープ。実は一口飲んだ瞬間の君の横顔を見たんだよ。
笑みを浮かべていた。おおらかで聖母のような表情をしていた。
でも、もしかしたら心では泣いていたんじゃないかな?
私にも覚えがあるよ。折れそうな心にはコンソメスープが染み渡るのだから。

牛肉の赤身をたっぷり使い、じっくり煮込んだらそれはそれは美味しいコンソメスープが出来上がる。
でも、それは現実的じゃないし私の道からも外れている。
私のコンソメスープはこんな風に作ります。最初にトリガラをさっと茹でて生臭みとアクを取り除き、香味野菜と香草を加えて2〜3時間炊く。もちろん命の塩をひとつかみ。
火加減は、沸騰するまで強火。沸いたら火を少し下げます。
こだわりのラーメン屋さんは、スープを沸騰させないところがあるらしいですね。
私は、美味しさをオブラートでくるむような味じゃなくて、スコーンと抜けたような爽快感とコクとキレを求めたい。
だから、ガーッと強火。途中にチョロチョロとアクも取らない。沸騰した時点でアクは一気に上がってくるので、その時めがけてババーッと取り除きます。
途中チョロチョロの労力と無駄な時間を省いた分、ここは全てを放っておいてもひたすら寸胴の前に居ます。
中にこもった嫌な奴らは一人残らず出て来やがれ。全部俺様がせいばいしてやる!ってな感じでしょうか。
これが爽快感やキレを出すための肝心な作業です。
そして、クックックッと笑っている感じの沸騰加減に火を調整します。これは、ミジョテと言う技法。


ひとつまみの命の塩(二見浦の岩戸の塩)とクックックがコクを出すのです。間違っても長時間は炊きません。
特に玉ねぎは、すえたような臭いになって来るからです。
さてこれでベースのブイヨンが出来上がりましたね。漉してこれを一度冷まします。
半寸胴に鶏肉のミンチとスライスした玉ねぎと人参、少しのセロリと香草、トマト。アク取りの卵白を入れよく混ぜます。
冷えたブイヨンを加えて火にかけ、鍋の底がしっかり当たる木べらで沸騰するまで付きっ切りでかき混ぜます。
美味しくなれ。美味しくなれ。
ミンチ肉と野菜の全てがブイヨンにさらされて旨味が出ることを願いながら木べらを動かし続けるのです。
すると、その内に肉や野菜が卵白の力で固まってきます。
その瞬間をめがけて半寸胴の中にドーナッツ型を作り、真ん中をクックックッの噴火口にします。ミジョテの始まり。
アクは全部ドーナッツに吸い込まれていきます。
今度はそうですね・・・不純な皆様、出ていらっしゃい。私が(ドーナッツのことです)包み込んであげますよ。
って感じで、アクを退治するんじゃなくて自主的に投降させて優しく抱き込むイメージです。

これで一時間。漉し紙の上に潰した胡椒を置き、その上から慎重に漉す。爽やかに胡椒の香りが移ります。
すれ違った女性の僅かな香りにドキッとしたことはないですか?香水べったりだとヘキエキするくせに一瞬の香りには
脳が反応してしまう。胡椒もそんな気持ちで使っています。

冷すと、脂が固まります。漉してそれを取り除いてから温めてカップに注ぐ。
少し色がついていて透明でキラキラしている。浮き身も一切なし。さあ、味わってみてください。爽快感とコクとキレ。
いかがですか?爽快感とコクとキレを感じていただいたなら今度は目をつぶってもう一度飲んでみてください。
心が痛い人には分るかも知れません。もう一つ別次元の味があることを・・・。心に沁みますか?
何かアツイものが胸をときめかせたとしたら、それが料理人の情熱と思いやりです。
この人に飲んでもらいたい・・・左手で鍋の柄をつかみ右手で木しゃもじを一心不乱に動かす私の姿。
心がボロボロだったあの人には、そんな私の姿が見えたのかも知れない。
苦悩の末、子供達と生きる道を選んだ君は、もう私のレストランには居ない。
私は、毎朝まかないを作るきっかけを与えてくれた、あの表情を忘れない。

覚えていますか?昔の店の2階。一番奥の席でしたね。君は私の仲間達と初めて食事に来ていた。
まだ小娘だったから(ゴメン)私の料理は、心に沁みなかったかも知れない。でもその分、感動してくれた。
帰りがけ恥ずかしそうに、でも意を決して私にこう言ったんです。・・・握手してください。おそるおそる差し出される白くて、か弱い手。なんて無邪気な笑顔と輝く瞳。私はその表情も忘れていない。



 

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